詩篇73:1-12

まことに神は、イスラエルに、心のきよい人たちに、いつくしみ深い。
しかし、私自身は、この足がたわみそうで、私の歩みは、すべるばかりだった。
それは、私が誇り高ぶる者をねたみ、悪者の栄えるのを見たからである。

彼らの死には、苦痛がなく、彼らのからだは、あぶらぎっているからだ。

人々が苦労するとき、彼らはそうではなく、ほかの人のようには打たれない。

それゆえ、高慢が彼らの首飾りとなり、暴虐の着物が彼らをおおっている。

彼らの目は脂肪でふくらみ、心の思いはあふれでる。

彼らはあざけり、悪事をもって語り、高い所からしいたげを告げる。

彼らはその口を天にすえ、その舌は地を行き巡る。

それゆえ、その民は、ここに帰り、豊かな水は、彼らによって飲み干された。

こうして彼らは言う。「どうして神が知ろうか。いと高き方に知識があろうか。」

見よ。悪者とは、このようなものだ。彼らはいつまでも安らかで、富を増している。

これだけ読むと、つい、安らかで、富を増すことがわるいことのように思えてしまう。

でも、ちゃんと読んでみると、悪者が悪者たる所以は別のとこにある。

別に安らかでも富を増しても構わない。

けれど、

神をないものとし、自身が神かのように、全て作り出したかのように、おごり高ぶり、高慢とゆー首飾りをして、神?知らないよ?そんなの?

ってなってるところが悪者たる所以なんだろう。
苦労もしないし、安らかで、富をあるが、それは自分自身によるものだと。
まぁね。そりゃそーかもしれんが。
この前ノーベル賞とった人が言ってたな。

私は何もしてない、あったものを見つけただけ、みたいなことを。

まぁ彼が神を信じてるかどうかは知らないけれど、本質は同じかもしれない。

なんだってそうだ。

知らなかったものを知るだけなのだ。

どんな難解な数式や物理法則も。

もうすでに、あるものなんだ。

僕らがやれるのはそれらの組み合わせ。

それだけ。元のものは創り出せない。
ゼロをイチにすることは出来ないからだ。
この詩篇の好きなところは、こーゆーのを見て、足がたわんで、高慢なものをねたんだって言ってるところ。

それによって滑りまくったと言ってるところ。
旧約聖書は紀元前からあったわけなんだけど。

今の世の中と変わらんな。人間は。
やっぱり、足はたわむよ。そしてすべる。

苦痛もなく。富も安らかさもある、おごり高ぶり、豊かな水を飲み干す。

飲み干してるからね(笑)

他にはくれてやらんってことだろ。高慢な奴ら以外は飲めない。
そりゃそっち側行った方がいいだろうな(笑)

それが妬みで、結局滑るんだけど。
でも、たわむよなー足(笑)

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